大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第三小法廷 昭和55年(行ツ)101号 判決

上告人

全逓信労働組合

右代表者

石井平治

右訴訟代理人

秋山泰雄

山本博

仲田晋

被上告人

公共企業体等労働委員会

右代表者会長

石川吉右衛門

右参加人

右代表者法務大臣

秦野章

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人秋山泰雄、同山本博、同仲田晋の上告理由第一点について

論旨は、原判決には理由不備又は理由齟齬の違法があるというが、原判決が所論の点について言及しなかつたからといつて、理由不備又は理由齟齬となるものではない。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

同第二点について

所論の点に関する原審の認定は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

同第三点及び第四点について

所論の点に関する原審の認定は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、更に、原審の認定を前提としても、新宿郵便局長の所論の発言は上告人組合の結成運営に対する支配介人に当たると主張する。思うに、使用者の言論は、労働者の団結権との関係において一定の制約を免れないが、原則的には使用者にも言論の自由は保障されており、労使双方が自由な論議を展開することは正常な労使関係の形成発展にも資するものということができる。ただ、ここで必要なことは、双方が公正かつ妥当な形で自己の見解を表明することであり、その配慮を欠けば、労使関係の秩序を乱すことにもなりかねない。この意味において、労使間に対立の見られるような時期に、使用者又はその利益代表者が労働者と個別的に接触し、労使関係上の具体的問題について発言をすることは、一般的にいつて公正さを欠くものと非難を免れず、場合によつては是正のための救済措置を必要とする事態に至ることも十分考えられるところである。新宿郵便局長の所論の発言も、上告人組合に対立する労働組合の結成が準備されている時期において、同局長の自宅又は執務室で特定の職員に対してなされたもので、その妥当性が疑われることは否定できない。しかしながら、その内容及び原審認定の事実関係に照らせば、右発言をもつていまだ上告人組合の結成運営に対する支配介入に当たるとまでいうことはできないとした原審の判断は、これを是認することができ、原判決に所論の違法はない。右違法のあることを前提とする所論違憲の主張は、失当である。論旨は、いずれも採用することができない。

同第五点及び第六点について

労働組合又はその組合員が使用者の許諾を得ないで使用者の所有し管理する物的施設を利用して組合活動を行うことは、これらの者に対しその利用を許さないことが当該施設につき使用者が有する権利の濫用であると認められるような特段の事情がある場合を除いては、当該施設を管理利用する使用者の権利を侵し、企業秩序を乱すものであつて、正当な組合活動に当たらず、使用者においてその中止、原状回復等必要な指示、命令を発することができると解すべきことは、当裁判所の判例とするところであり(最高裁昭和四九年(オ)第一一八八号同五四年一〇月三〇日第三小法廷判決・民集三三巻六号六四七頁)、これと同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。そして、原審の適法に確定した事実関係の下においては、昭和四〇年五月一〇日新宿郵便局集配課休憩室において、同年六月七日及び同月一一日同局四階年賀区分室付近において、それぞれ無許可で開かれた上告人組合新宿支部の職場集会に対し、同局次長らの行つた解散命令等が不当労働行為を構成しないとした原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、右違法のあることを前提とする所論違憲の主張は失当である。論旨は、いずれも採用することができない。

同第七点について

公共企業体等労働関係法二五条の五及び労働組合法二七条に規定する公共企業体等労働委員会の救済命令制度は、使用者の不当労働行為により生じた事実上の状態を右命令によつて是正することにより、正常な集団的労使関係秩序を回復させることを目的とするものであつて、もとより使用者に対し懲罰を科すること等を目的とするものではないから(最高裁昭和三六年(オ)第五一九号同三七年九月一八日第三小法廷判決・民集一六巻九号一九八五頁及び同昭和四五年(行ツ)第六〇・六一号同五二年二月二三日大法廷判決・民集三一巻一号九三頁参照)、使用者による不当労働行為の成立が認められる場合であつても、それによつて生じた状態が既に是正され、正常な集団的労使関係秩序が回復されたときは、公共企業体等労働委員会は救済の必要性がないものとして救済申立てを棄却できるものと解され、これと同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。そして、原審の適法に確定した事実関係の下において、本件掲示物の撤去に関し救済の必要性がないとした原審の判断は、これを是認することができる。原判決に所論の違法はなく、右違法のあることを前提とする所論違憲の主張は失当である。論旨は、いずれも採用することができない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(横井大三 伊藤正己 木戸口久治 安岡滿彦)

上告代理人秋山泰雄、同山本博、同仲田晋の上告理由

第一点 〈省略〉

第二点 〈省略〉

第三点 五月一六日加藤局長が自宅においてした郵政労への加入のしようようについて

原判決には、以下のとおりの判決に影響を及ぼすこと明らかな法令の違背がある。

一、原判決は、まず、「新宿郵便局第一郵便課清水忠蔵課長代理は、昭和四〇年五月一六日(日曜日)昼ごろ、同課臨時補充員岩崎伸義及び田中惟一郎から『局長に遊びに来ないかと言われているので一諸に案内してくれないか。』と言われ、武井亀第一郵便課長に相談したところ、『岩崎・田中と同じく大学卒の新規採用者の鈴木崇元も誘つてはどうか。』と勧められたので、右鈴木も誘つた上、同日午後七時半過ぎ『若い者を二、三名連れていく。』と加藤局長自宅に電話をし、午後八時半ごろ品川区旗の台の同局長宅に着いたところ、既に、集配課の中村清一課長代理(郵政労組合員)、斎藤幹愛、佐藤秀雄、池沢昇及び宮下敏男の四名の統括責任者(宮下は全逓組合員。他は三名は、全逓新宿支部に脱退届を出していた。)が先客として来ており、六畳の部屋で酒食を並べて歓談していたこと、加藤局長は清水課長代理らを同席させ、同課長代理が『ここに集まつた者は同じ考えの者で、私と同じ第一郵便課に勤務している者です。』と紹介し、同局長は、直ぐに一同に酒を歓め、席上『郵便事業は三代しなければ一つの仕事を達成できないと私は考えている。』旨発言したこと、なお、中村課長代理ら五名の集配課職員は午後九時過ぎ局長宅を辞去し、また、清水課長代理ら四名は、午後一一時ごろ辞去し、加藤局長の息子の運転する私用車で新宿駅まで送つてもらつたこと」については、いずれも当事者間に争いがないとしたうえで、前掲乙第三四号証及び第三九号証の各二、第四〇号証の三並びに第四一号証の二並びに証人加藤の証言、成立に争いのない乙第三六号証の四並びに原審証人鈴木崇及び当審証人岩崎伸義の各証言を総合すると、

「1 加藤局長は、清水課長代理らが席に加わるや、まず『今日は局長と思わないで飲んでくれ。広島から届いた特級酒もある。』と言つて気分をほぐした上、世間話や各人の郷里の話をしたり、じつくり腰を据えて仕事をするようになどと先輩としての忠告や激励も交えながらもてなしたが、このような仕事に関する心構えの話の中で、『郵便事業は三代云々』という発言があり、続いて『全逓の闘争主義者たちは三代かからなければできないことを破壊する。』と発言したこと。

2 そうしているうちに、清水課長代理は、郵政労への加入届用紙をポケットから出して田中・鈴木両名に配り、『君たち三名で臨時補充員を郵政労へ入れてくれ。』と要請したところ、田中はその場でサインしたが、鈴木は『これはどういうことですか。』と尋ね、加藤局長は『これは郵政省の正規組合だ。』と発言し、鈴木が『しばらく研究させて下さい。』と言つたのに対し、同局長は『ええ』とうなずいたこと。

3 なお、清水課長代理は、帰りの車中『新生会のバックが分かつたろう。』と述べたこと。

等の事実を認めることができる。」と判示したが、右認定2の清水課長代理の加入届用紙配布については、加藤局長は、武井課長とともにこれを共謀していたものであり、少なくとも事前に了解を与えていたとの被控訴人の主張はこれを認めるべき直接の証拠はないとした。

二、(一) まず、原判決は、清水課長代理の郵政労加入届用紙配布については、同局長がこれにつき共謀ないし事前の了解を与えていたことについては直接の証拠はなく認められないとした。たしかに右の点について直接の証拠のないことは原判決の判示するとおりであるが、以下に述べる諸事情からすれば、同局長の「共謀」ないし「了解」の事実は明らかといわなければならない。

すなわち、

① 清水課長代理は、鈴木崇元ら三名の新入職員を同局長や郵政労組合員である課長代理一名を除いて全逓から脱退した統括責任者四各に対して「ここに集まつた者は同じ考えの者で、私と同じ第一郵便課に勤務しているものです」と紹介したことについては当事者間に争いがなく、ここで「同じ考えの者」とは、各証拠および弁論の全趣旨からすれば、全逓に対する批判派ないし反対派を意味することが明らかである。同課長代理の右のあいさつは、同局長が自宅において職員を接待した趣旨が郵政労の拡大に関するものであることを明確に示している。

② 同局長は「郵便事業は三代しなければ一つの仕事を達成できないと私は考えている」と発言したことについては、当事者間に争いがなく、この発言に引き続いて「全逓の闘争主義者たちは三代かからなければできないことを破壊する」と発言したことは原判決の認定しているとおりであるが、同局長の右発言はきわめて激しい措辞をもつて全逓を非難したものであり、鈴木ら新入職員の組合の選択に重大な影響を及ぼす内容のものである。

③ 清水課長代理は、郵政労加入届用紙を新入職員らに配布して臨時補充員を郵政労に加入させる工作を要請し、鈴木が「これはどういうことですか」と尋ねると同局長が「これは郵政省の正規の組合だ」と発言したことは原判決が認定しているとおりであり、右発言は、鈴木らに対して郵政労を賞揚して加入を勧しようとする意味をもつていることは明白である。

④ 清水課長代理が帰りの車中「新生会のバックが分かつたろう。」と述べたことは原判決が認定しているとおりであり、このことは同局長が新生会の育成・拡大について支援している事実を示すものであるとともに、本件局長宅への訪問それ自体がその目的でなされたものであることを示している。

⑤ 常識的にみても極めて多数の部下職員をかかえる新宿郵便局長が、臨時補充員に対して自宅で酒食を供して接待することは明らかに異例のことであり、原判決引用の各証拠によれば、清水課長代理自身局長宅を訪問するのははじめてであつたというのであるから、その訪問は特別な意図をもつてなされたものであると考えるほかはない。

右の①ないし⑤の当事者間に争いがない事実および原判決認定の事実だけでも同課長代理の局長宅訪問は、局長宅という舞台で同局長の協力を得て鈴木ら新入職員を郵政労に加入せしめ、さらには臨時補充員を郵政労に加入せしめる工作を引き受けさせようとしたものであり、局長がこれに呼応して全逓を非難し、郵政労を「正規の組合」だと賞揚して、同課長代理の加入説得に協力したものであることが如実に窺われるのであるから、「共謀」ないし「了解」はあつたと認定するのが自然であり、経験則に合致する。それだけでなく、原判決の引用する各証拠、とりわけ乙第三六号証の四(鈴木崇元の公労委における審問調査)および同人の第一審証言をみれば、同局長はむしろ目ら積極的に鈴木の郵政労加入をすすめていることが明白であり、同課長代理との「共謀」ないし「了解」の事実は疑いを容れる余地のないほど明確である。

しかるに、原判決は「局長宅で郵政労への加入届を配布するという一歩誤れば局長に累を及ぼしかねない同課長代理の行動それ自体から、同局長がこれを了解していたことを逆に類推すべきであるとの見解も考えられる」が、このような「逆の推認」は「個人の内心の問題という非定型的な事実」については一般に困難であるとし、さらに、右争いのない事実や右認定の事実、さらに背景的事情を考慮しても同局長の了解については証拠不十分であると判示した。原判決が「逆の推認」は困難であると判示する部分の論旨は必ずしも明確ではないが、「共謀」ないし「了解」は、少なくともここで問題とされているかぎりでは「個人の内心の問題」ではなく、同局長が同課長代理の加入説得に対してどういう態度をとつたのか、換言すれば客観的にみて加入説得を援助ないし協力する態度をとつたのかどうかという問題である。また、前述したとおり、当事者間に争いのない事実や原判決の認定した事実からは、同局長が同課長代理による郵政労加入工作を事前に「共謀」ないし「了解」していたことは経験則上容易に認定できるのであり、原判決がこれに反して、同局長の了解は証拠上認められないとするのは、事実認定における経験則ないし採証法則を誤つたものといわなければならない。

(二)1 ところで、原判決が当事者間に争いのないものとして摘示した事実および証拠により認定した事実によると、局長宅につくと清水課長代理が鈴木ら新入職員を「ここに集まつた者は同じ考えのもので、私と同じ第一郵便課に勤務している者です」と紹介し、局長により酒が供されたあと、同代理が郵政労加入届用紙を田中・鈴木に配布し「君たち三名で臨時補充員を郵政労へ入れてくれ」と要請したが、鈴木が「これはどういうことですか」と尋ねると同局長が「これは郵政省の正規の組合だ。」と発言したというのである。「郵政省の正規の組合だ」という発言の意味は、全逓に対する非難のあとで出た言葉であることからいつて、それが全逓との対比した意味において郵政省の「正規の組合」すなわち「公認」の組合という意味であることが明白であり、また、その発言は田中が直ちに同課長代理から配布された郵政労加入届用紙に署名したのに対して、鈴木が「これはどういうことですか。」と不審を示して署名を躊躇したことに対してなされたものであるという前後の状況からして、単に郵政労に対する同局長の一般的見解を開陳したものではなく、鈴木に対して加入届への署名を勧しようないし催足する意味でなされたものであることはいうまでもない。

2 不当労働行為制度の目的は、団結権の承認の上に成立する近代的労使関係秩序の維持形成にあると解されるから、そのような秩序形成の母体である労働組合の結成・運営――団結権活動――が「自主的」になされることがその前提となり、この意味において不当労働行為制度が保護しなければならない第一次的な保護法益は労働者の団結活動の「自主性」である。そうであるとすると、労働組合法(以下労組法という)七条三号の支配介入の成否は、まずこのような団結活動の「自主性」を阻害するようなものであるかどうかを基準として判断されなければならないことになる(「不当労働行為論」共同研究労働法2、二七九頁)。そして、この場合、自主性を阻害するおそれがあるかどうかは、不当労働行為制度の目的が使用者の不当な影響から解放された自主的な労働組合の保護育成にある以上、その判断は労働者の立場に立つてなされなければならず、また、使用者の行為は過去における使用者の態度やその他の一連の行為との相対関係においてはじめてその行為の真の意味が明らかになるものであることが考慮されなければならない(前掲二八〇頁)。

3 同局長の右発言は、右に述べたとおりある特定の労働組合への加入説得について勧しようないし催促をする意味でなされたものであることが明らかであるところ、かかる同局長の言動は、全逓からの脱退が相次ぎ、脱退者らが「新生会」なる第二組合たる郵政労の準備団体を結成し、その組織拡大が図られている状況下において局長が酒食を供しつつなされたものであるから、鈴木ら新人職員の郵政労加入の意思決定に重大な影響を与える可能性の強いものであつたというべく、明らかに団結活動の自主性を阻害したものであつてかかる同局長の言動は、支配介入にあたること明らかといわなければならない。

4 しかるに原判決は、「このように、清水課長代理の加入届用紙配布という行動につき加藤局長が共謀し又は了解していたことは証拠上認められないのであるから、同課長代理が、いずれの組合にも属していない鈴木から(この点は、右認定に供した各証拠により認められる)に対するオルグ活動を行うにつき局長宅の酒食の席を利用したことは、局長に迷惑のかかつてくる軽率な行為であつたというほかなく、その際局長がこれを制止しなかつたこと、あるいは郵政労は正規の組合である旨発言したことをもつて、同組合への加入をしようようし、又は被控訴人組合の運営に支配介入したものとすることは、いまだ早計である。なお、郵便事業は三代かかる・全逓の闘争主義者たちはこれを破壊しようとする旨の局長の発言、殊に『全逓の闘争主義者』という言葉は、できれば避けるのが最善であつたに違いないが、右認定1の事実関係に右に掲げた各証拠を総合すると、局長の発言の趣旨は、訪ねてきた若い新人職員たちと膝を交えて歓談しながら、先輩の一人として、じつくり腰を据えて仕事をするようにと忠告し激励しようとしたものと認められるから、右の語句のみをとらえて被控訴人組合の運営に対する支配介入とするのは当を得ない。」と判示した。

すなわち、原判決は、同局長が同課長代理が局長宅における酒食の席で新人職員に対するオルグ活動を行うことを「共謀」又は「了解」していたことが証拠上認められないことを論拠として、支配介入の成立を否定するのである。しかし。同局長の「共謀」又は「了解」については、それが認められれば支配介入であることに疑問の余地がなくなるという意味において重要な事実であることは間違いないとしても、それが認められないからといつてどうして支配介入の成立が否定されることになるのか、原判決はその理由を何も説示していない。もつとも、右判決は、とくに同局長の発言中「全逓の闘争主義者」という言葉をとりあげて「できれば避けるのが最善であつた」旨批判し、これについては、その趣旨は「先輩の一人として、じつくり腰を据えて仕事をするようにと忠告し激励しようとしたものと認められるから、右の語句のみをとらえて……支配介入とするのは当を得ない。」旨述べるにとどまつているところからすると、同課長代理の加入説得に対して「郵政省の正規の組合だ」と発言したことについては、ほとんど問題意識を抱かなかつたことが窺える(なお、右の判示部分についても、判示のような趣旨で発言したからといつて「闘争主義者」という強い非難の言葉を吐いても良いということにはならないし、発言の趣旨として説示するところは、「闘争主義者」という非難の発言をしたことの趣旨を説明するものとしては、まつたく非論理的であり、説示の意味が理解不能であると批判せざるを得ない)。

5 原判決が、同課長代理の加入説得に際して「郵政省の正規の組合だ」と発言したことを支配介入にあたるとしなかつた理由は、このように説示がないが、あるいは組合加入説得をしたのは、同課長代理であり、同局長はそのことに関連して発言しただけであるから、同課長代理のそのような行動について「共謀」ないし「了解」さえしていなければ、同局長は右加入説得とは直接の関係がないとするものであろうか。しかし、同課長代理の加入説得について「共謀」又は「了解」していなくとも、現実になされた加入説得の場において、これに応じて職員らに対して加入を勧しようないし催促するような発言をすることは、それ自体が支配介入にあたると解すべきものである。

あるいは、また原判決は、鈴木が結果的に郵政労加入届を提出しなかつたことに着目して支配介入が成立するためには、労働者の団結権活動がなんらかの影響を蒙つたという結果―実害―の発生することを要するとの見解のもとに、同局長の右発言を支配介入にあたらないとしたものであろうか。しかし、労組法七条三号は、支配介入の成立につき実害発生を必要とするとは定めていないし、不当労働行為制度は、憲法二八条の団結権保障の実効性を確保するために設けられたものであつて、支配介入の禁止はこのように憲法の予定する近代的労使関係の秩序を阻害するいつさいの行為を禁止したものと解されるから、その成否には実害の発生はとくに必要とはされないと解される。

さらにまた、原判決は、同局長の発言はその見解を披〓したものにすぎないものと解して支配介入にあたらないとしたものであろうか。なるほど学説のなかには、使用者の言論の自由を幅広く承認しようとする見解(石川「支配介入」労働法演習など)もみられるが、これらの見解においても労使関係のあり方に対する意見表明および自己に対立する特定組合批判も他の事情と相まつて支配介入となるとされている(前掲石川)のであり、すでに述べたとおりの右発言がなされた前後の事情からすれば支配介入にあたると解されるだけでなく、「郵政省の正規の組合だ」との発言は、単なる一般的な意見表明にとどまるものでなく、それ自体に、郵政労に対する積極的肯認の価値評価を含んでいることを留意しなければならない。

6 いずれにせよ、原判決は、同課長代理の郵政労加入説得に対して「郵政省の正規の組合だ」という同局長の発言のあつたことを認めながら、何故に右発言が支配介入にあたるとしなかつたものかその理由を何ら説示せずに支配介入の成立を否定しているが、右発言の事実を認めている以上当然支配介入にあたらない理由を説示すべきものであるから、原判決にはこの点について理由不備ないし審理不尽の違法があるとともに、支配介入にあたる発言があるにもかかわらず、その成立を認めなかつた点は結局憲法二八条、労働法七条三号の解釈適用を誤つたものである。

第四点 四月二〇日加藤局長が局長室において臨時補充員小林宏市らにした発言について

原判決には、以下のとおりの判決に影響を及ぼすこと明らかな法令の違背がある。

一、原判決は、「加藤局長が、昭和四〇年四月二〇日午前九時ごろから二、三〇分間、集配課の臨時補充員小林宏市、松島市郎、渋川久雄、佐藤忠二、佐藤文雄及び小沢良雄を局長室に呼んで話をしたこと、この際、加藤局長は、『仕事に慣れたか。』と切り出し、自己の少年時代の苦労話をした後、『職場でも休憩室でも暗くなつてしまうほどビラがはつてある。職場の中でもゴタゴタしている。』という趣旨の話をしたことは、当事者間に争いがない。そして、前掲乙第四〇号証の三及び成立に争いのない乙第三二号証の四、五を総合すると、同局長は、その際右六名ともまだ組合に入つていないということであつたので、組合に入るのは自由であるが、いつたん入るとなかなか出られないからよく考えて入るようにという程度の話をしたことは認められるけれども、これが被控訴人組合に加入しないようにとの意味を込めて言つたものとまで断定するには、右乙号各証のみでは不十分である。被控訴人は、なお、加藤局長が右のほか「職場を明るくする会というものがある。そういう人たちはいいですね。」と述べたと主張し、右乙第三二号証の四にはこれに添う記載部分があるけれども、これはその他の右乙号各証に照らしたやすく採用することができず、ほかには右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

加藤局長の当日の発言は、右に見たとおりであるところ、右に掲げた乙号各証に前掲乙第四一号証の二及び証人加藤の証言を総合すると、同局長が右六名を呼んで話をした趣旨は、入つたばかりの臨時補充員をねぎらい激励するためのものであり、またビラがいつぱいはつてあるというのもこれに気後れしないようにとの意味であつたと認められる。そうすると、右に見た同局長の発言は、何ら被控訴人組合を誹謗したことにはならないから、不当労働行為を構成するものとすることができない。」と判示した。

二、(一)1 同局長が同職員らに対して「職場でも休憩室でも暗くなつてしまうほどビラがはつてある。職場の中でもゴタゴタしている。」と発言したことは当事者間に争いがないが、原判決は、そのほかに「組合に入るのは自由であるが、いつたん入るとなかなか出られないからよく考えて入るようにという程度の話をしたこと」も認められるとした。しかし、同局長が「職場を明るくする会というものがある。そういう人たちはいいですね」と述べたということは証拠上認められないとした。

2 しかし、職場に入つて日の浅い職員にとつては、局長と面談するようなことはめつたにあることではないから、局長の発言内容については強い印象が残るのが普通である。乙第三二号証の四には、「職場を明るくする会というものがある。そういう人たちはいいですね。」と局長が発言した旨の記載があり、それ自体としては、発言を直接聞いたものの供述らしくきわめて自然な内容である。他方、同局長はこのような発言をしたことを否定する証言および供述をしているのであるが、不当労働行為が違法なものであることについて充分に理解している同局長がそのような発言をした事実を容易に認めるはずはないのであつて、証言ないし供述においてそのような発言をしたことを否定しているからといつて安易に労働者側の供述の信用性を否定するとしたら、不当労働行為の認められる事例は極めて少数で特異な事例についてだけということになりかねない。

したがつて、労働者側の証言、供述と使用者側のそれとの間に重要な点で喰い違いが認められる場合に労働者側のそれを措信しないとするときには、その理由を具体的に説示しなければならないものというべきである。

しかるに、原判決は、乙第三二号証の四の記載を措信しない理由を具体的に説示せずこれを措信しないとしたものであるから、この点において原判決には、経験則ないし採証法則の違背および理由不備の違法があるといわなければならない。

(二) また、原判決は、同局長が「組合に入るのは自由であるが、いつたん入るとなかなか出られないからよく考えて入るようにという程度の話」をしたことを認定しているのであるが、ここでいう「組合」とは、労働組合一般を指すものではなく全逓のことである。このことは、もともと本件紛争以前には新宿郵便局職員のほとんど全部が全逓に加入していたこともあつて、一般に「組合」とは全逓を指す表現であつたこと、「いつたん入るとなかなか出られない」というのは、具体的には、その当時脱退を喰止めようとして全逓が説得活動を展開していたことを意味するものであること(その一年は、第二点に関して前述した貯金募集打合会において、同局長が「新生会の会員の家庭を訪問して、新生会から抜け出さなければ宿舎に入れないようにするとか、脅迫めいたことが行われているらしい」との発言をした旨原判決が認定していることによつて窺えよう)。

および、右発言の前段で同局長が全逓がビラを職場や休憩室に貼つていることを批判する発言をしているなどから疑問の余地がない。全逓以外の労働組合としては、同局職員の少数が郵政労新宿支部を組識していたが第三点に関する局長宅における発言のなかに「郵政省の正規の組合」とのことばがあつたことから明らかなように、この組合に対しては同局長は肯定的な態度をとつていたのである。すなわち、同局長の発言は、「組合」への加入についてはよく考えるようにという一般的な表現でされているけれども、当時の新宿郵便局の職員にとつてはそれは局長が全逓への加入について慎重にせよといつているものであると明白に看取できていたし、小林職員もそのように理解したのである。このような同局長の発言が支配介入にあたることは明白であり多言を要しない。

しかるに、原判決は、同局長の右発言が支配介入にあたると解すべきであるにもかかわらず、支配介入にあたらないと判断したものであるから、結局、原判決には憲法二八条、労組法七条三号の解釈適用を誤つた違法がある。

第五点 〈省略〉

第六点 〈省略〉

第七点 組合掲示物の撤去について

原判決には、以下のとおりの判決に影響を及ぼすこと明らかな法令の違背がある。

一、原判決は、昭和四〇年六月七日ごろ組合掲示板に当局側の許可を得ない掲示物が貼布されていたところ同月八日福島庶務課長が組合に対して無許可であることを理由に撤去を求め、同月九日組合で撤去しなければ当局側で撤去する旨通告したのち、翌一〇日これを撤去したことについて、労働委員会は「不当労働行為の存在が認められるときでも、救済命令を発する必要がなければその申立を棄却するという措置をとることができるものと解するのを相当とする」との見解のもとに、「同控訴人の延岡郵便局事件の命令が契機となり、数次にわたる労使の交渉の結果、郵政省においては、個々の掲示物については掲示ごとの許可は必要でないという取扱いに改め、被控訴人もこの措置を了承しているのであり、このように上部機関同士の数次の交渉により相互の了解が成立している以上、掲示ごとの許可を受けていないという理由による掲示板撤去に関する問題は、係争中の案件をも含めて、当該案件に格別の特殊事情のない限り、すべて解決されたものと見るべきであり、このようにすべて解決されたがゆえに、同種の他の案件も取り下げられ、延岡郵便局事件も陳謝文交付を実現させることなく処理されたものと認められるのが相当である。上部機関同士の間で回を重ねて協議を成立させながら、係属中の個々の案件の処理は別問題であるというのでは、右協議成立の意味がほとんど失われることにもなる。そして、本件掲示物撤去については、同種の他の案件及び延岡郵便局事件とはその扱いを異にし、これをなお未解決のものとしておくべき格別の特殊事情を認めるに足りる証拠はないかはあえて救済命令を発すず必要はないものというべきである」と判示し、さらに、すすんで本件掲示物撤去につき何らかの救済命令を与えるとすれば、まず不作為命令またはポスト・ノーテイスが考えられるが通達改正という制度的な裏付けをともなつた措置によつて一方的に撤去されるという事態は解消したから、これらの救済命令を発する必要は見出し難いし、次には陳謝文の交付命令が考えられるが、これは過去の事実を問題とするものであるところ、前述の上部機関同士の交渉の結果、係属中の個々の案件もすべて解決されたと見るべきものであり、このなかには当然に過去の問題も含まれていなければならないから本件において過去の問題について陳謝文を交付させるなどの措置は無意味であり不必要であると判示した。

二、(一) まず、原判決は、労働委員会は不当労働行為の存在が認められるときでも救済命令を発する必要がなければ救済申立を棄却することができると判示する。しかし、右のような場合労働委員会が申立を棄却できると解すべき根拠は労組法上に見出すことはできない。しかも、労組法七条各号は労働基本権を侵害する行為を類型化したものであり、不当労働行為であるということは当然に救済される必要のあることをも意味する。不当労働行為のなかに救済する必要のないものを認めることは、それ自体自己撞着である。また、かりに必要性がないとして申立を棄却できるとしても必要性がないというのは具体的にはどういう場合のことであろうかこの点も不明確である。この点を不明確にしたまま、必要性がないとして救済申立を棄却することを認めることは、実質的には労働委員会に対して救済命令を発することについての裁量権という労組法の認めない権限を承認することになる可能性もある。原判決もこの点を憂慮したものか「このような例外的措置が軽々に執られることは慎しまなければならない」と付言しているが、必要性なしとして申立を棄却できる論拠を説示せず、かつ、どのような場合が必要性のない場合にあたるのかに何も論及しない以上、このような措置が軽々に執られることを防止することは不可能である。

すなわち、原判決には、救済の必要性のない場合は申立を棄却できると判示した点において、理由不備の違法があり、かつ、憲法二八条、労組法二七条の解釈を誤つた違法があるといわなければならない。

(二)1 かりに原判示のように必要性のない申立は棄却できると解したとしても、本件についてその必要性がないということはできない。

原判決が、本件について救済の必要性がないとする理由は、前引用のとおりであるが、要するにその後の労使間の協議によつて、「係争中の案件をも含めて、当該案件に格別の特殊事情のない限り、すべて解決されたものと見るべきである」とし、本件について「なお、未解決のものとしておくべき格別の特殊事情を認めるに足りる証拠はない」からあえて救済命令を発する必要はないというのである。

2 しかし、まず、上部機関同士の話し合いの結果、「すべて解決されたものと見るべきである」という判示部分については、そのように判示するに足る証拠は全然ないことを指摘しておかなければならない。原判決は、「解決されたものと見るべきである」と述べて、右判示部分があたかも事実に対する評価あるいは判断であるかのごとき表現になつているが、話し合いの結果、すべての案件を解決することとしたというのは、評価あるいは判断の問題ではなく、事実の問題であり、証拠によつて確定されるべき事項である。原判決が、解決されたと見る根拠は、その説示によると延岡郵便局事件について謝罪文の交付を受けないで解決させたこと、同種の他の案件についての申立を取下げたことにあるようであるが、掲示物の一方的撤去によつて組合に生じた被害そのものもその後の回復状況、組合員の被害意識などもそれぞれの案件によつて異なるのである。公労委命令において当局側の措置が不当労働行為であることが明確になつたことによつて、組合に生じた被害は一応回復され、さらに審問を続けて陳謝させるまでの必要性は組織上はないと判断できる案件もあり得るし、陳謝させなければ組合に生じた被害は回復できないと考えられる案件もあり得る。全逓の各支部には、それぞれの組織事情があり、労使の対立状況も同じではない。だから、延岡郵便局事件や他の同種案件が取下げられたからといつて、問題が全部解決されたということにはとうていならない。また、原判決は、「上部機関同士の間で回を重ねて協議を成立させながら、係属中の個々の案件の処理は別問題であるというのでは、右協議成立の意味がほとんど失われることになる」とも判示する。しかし、労使交渉においては、まず紛争の一部のみを解決し、一部を未解決のままにしておくことも決して稀なことではないから、個々の案件の処理を別問題とすることも充分にあり得ることであるし、そうすれば「協議成立の意味がほとんど失われることになる」というのもあたらない。個別許可制を包括許可制に変更するという協議の成立は、不当労働行為にならないように将来の取扱いを変更するということであつて、そのような協議の成立はそれだけでも充分に意味があることであり、過去に発生した問題の処理を伴わなければ意味がないということはない。原判決の右判示部分は、実際にどのような協議がなされたのかその経過や結論を証拠に基づいて認定したうえでの説示ではなく、独自の見解にすぎない。

すなわち、問題が全部解決されたとみるべきであると判示するからにはそのように認定するに足る証拠がなければならないのであるが、右のように認定するに足る証拠は何もないのである。

3 次に、本件については、現実に当局側によつて一方的に掲示物が撤去されるという不当労働行為にあたる事態が発生し、そのことによつて、当然に教宣活動が阻害され、それに伴い組合に大きな挫折感や屈辱感を残したという被害事実がありながら、これを回復する措置は何ひとつとられていない。なるほど、延岡郵便局事件についての公労委の救済命令ののち上部機関同士で話合いがなされ、個別許可制から包括許可制にあらためられ、それまで公労委等に申立てられていた無許可掲示物の撤去をめぐる他の案件が組合側によつて取下げられたことは事実である。しかし、労使間の話し合いの結果は、以上に述べたところにとどまるのであつて、過去の問題について当局側から陳謝がなされたわけではないし、本件の取扱いについて何らかの申し合わせがなされた事実があるわけでもない。したがつて、本件について救済の必要性がなくなつたということはできない。

原判決が、右協議の成立をもつて問題はすべて解決されたと見るべきであると判示するところは、何ら証拠に基づかないものであることは前述したとおりである。ところで、原判決は、救済の必要性を否定したうえで、さらにすすんで考えられる救済命令の内容に触れて、これとの関係においても救済の必要性の無いことは明らかであるとする。しかし、右判示中、包括許可制となつたことにより不作為命令の必要性がなくなつたとする点はともかく、陳謝命令の必要性もないとする点は、とうてい肯認できない。原判決が陳謝命令の必要性もないとした理由は、右協議の成立によつて、過去の問題もすべて解決されたと見るべきものであるとするところにあるが、右説示は何ら証拠に基づくものではなく、一方的な見解にすぎないことはすでに述べたところと同じである。

4 以上に述べたとおり、本件については救済の必要性がないとすることはとうていできないのであり、救済の必要性がないとした原判決の判断は、証拠に基づかずに認定した事実を前提にしたものとして理由不備・理由齟齬の違法があるとともに救済の必要性があるにもかかわらず、ないとした点において憲法二八条、労働組合法七条三号、同法二七条の解釈適用を誤つたものといわなければならない。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例